種子島の南端
門倉岬から始まった
【鉄砲伝来】
1543年(天文12年)種子島の門倉岬に漂着した1隻の南蛮船に乗っていたポルトガル人により火縄銃が伝えられました。火縄銃の威力に驚いた第十四代島主・種子島時堯は2丁を購入し、惣鍛冶の八板金兵衛清定に鉄砲の模作を命じました。八板金兵衛清定は銃身と銃底を塞ぐネジの仕組みがわからず、娘をポルトガル人に嫁がせてその技術を教えてもらい国産第一号の火縄銃が完成したと言われています。
鉄砲伝来の地「門倉岬」
写真中央に見える浜に南蛮船は漂着しました。この浜で西村の主宰織部丞が乗組員の中国人と砂に文字を書いて筆談したそうです。
国産第一号の火縄銃を展示「鉄砲館」
国産第一号の火縄銃をはじめ、種子島の歴史や民俗、自然を資料やジオラマ、写真などで紹介しています。当施設の正式名称は種子島総合開発センターですが、多数の火縄銃が展示されていることから鉄砲館と呼ばれています。